「ママたちへ」 アメブロにアップしました。読みたくない方は読まないでください。
今に始まったわけではありませんが、児童虐待、ネグレクトという事が取り上げられています。小さな子供を放置して、親はパチンコへ・・・。
そして、世間は当然のように「こんなの人間のすることではない」「親になる資格などない」などと、罪を犯した?親への批判が広がります。
確かに、大人がいないと何もできない小さな子供たちです。放置して数時間も夫婦で遊んでいただなんて、誰が聞いても”普通”ではないでしょう。
ここからは、私の偏見です。
私自身もそうでした。小さな我が子を放置し、一泊して帰宅したこともありました。全く気にならないといえばウソになりますが、平気でした。その当時、私の心は壊れていました。
頼れるはずの旦那さんはソッポを向き、お金の工面を独りでしなければならなかった私。幼少期から家庭環境に恵まれず貧乏をしてきた私は、心の奥底に棲みついていた闇の部分が蘇ってきたのです。
子供を家に置いて一人で外をほっつき歩けば、周囲の人は白い目で私を見ました。「あなた、親でしょ!」口を開けばそう言って私を責めました。当然です。
ちゃんとしなければ・・・こんな事していたら子供が死んじゃう・・・そう頭では理解できているのです。でも・・・心がついてこないのです。
泣き声が聞こえるとイライラしました。オムツを変える時も、触りたくありません。ご飯を食べる姿にも腹が立ちました。何が私をここまでさせるのでしょう・・・。
そう言うと世間は、「あなたが悪い。子供ができないようにしたら良かったじゃないか!」と、目くじらを立てて怒るでしょう。でも、最初は可愛くてたまらなかったのです。愛おしくてやっとこれで幸せになれると思っていたのです。一つのきっかけによって私が背負ってきた未完了の感情が、私を沼の奥へと沈めていきました。
ある女医との出会いによって私と息子は救われました。
「ママだけが悪いわけではないのよ。ママのママにも原因があるのだから・・・」
その一言で私は立ちあがることができたのです。
何故できないの?
みんな私のせい?
何故私ばかり責められるの?
周囲の人の心無い一言は、こうして一人の心を壊してしまうのです。だからといって子供を死なせてしまった事や、手をあげてしまったことがいいだなんて言っているわけではありません。自分の子供とのことは、親が一生背負っていくことになります。
何が善くて何が悪いかなどと、人が人をジャッジしてもいいのでしょうか?それは、必ずしも正しいことですか?誰が正しいと決めたのですか?手を挙げた親ばかリを責め続けることが、その人を更生させる道でしょうか?人が更生させることができるのでしょうか?
私は、今でいう「虐待」をしてきた人間です。そんな人間が今、ヒプノセラピストとして生きています。掘り起こしたくもない幼少期の辛い思いと向き合ってきました。それは、初めからできた事ではありません。最初は気が狂う程の痛みを胸に感じました。尖がった爪で、内臓を掻きむしられるような感覚です。ヒプノセラピーに出会ったおかげで、小さな問題から徐々に向き合っていき乗り越えることができたのです。
わたしだったら、そんなことできないわ。
わたしだったら、そんなことしない。
わたしだったら、そんなこと言わない。
当然です。わたしは「あなた」じゃない。あなたは「わたし」じゃない。「できないわ」じゃなく、”しないだけ”なんです。「言わない」じゃなく、「言えない」だけであって、心では思っているのです。
言葉には言霊エネルギーが乗ります。良い言葉を聞けば波動が上がり嬉しくなります。悪い言葉(人を傷付けるような)を吐けば、いとも簡単に人の心を壊してしまうのです。
ママたちへ。
どうしてできないんだろう。どうしてこんな事したのだろう。どうして・・・どうして・・・そんなふうに自分を責めないでください。
問題は、目の前にあるものではありません。あなたの中にあるのです。
そして、ママのママに・・・ママのママのママに・・・。
全ての魂が平等であるように、どんな魂にも光が射しこむと思っています。
ママたちの、ポッカリあいてしまっている心を満たすことができたら、未来の子供たちへ繋いでいくことができる。
私はこれから、こうしたママたちの手を引っ張っていきたいと思っております。
私だからできること。
今のママたちから、未来へ伝えていく。そんなセミナーや講演会などを開催していきたいと思っています。
苦しくなったら、心が破裂するまでにサロンへお越し下さい。いつでもあなたを待っています。