【今ここ】にいる今の自分を見た時、あなたはどんなことを思いますか?そしてどんな感覚を感じますか?「少し我儘になったけどいまの自分がいい」と思うか「まだ生き辛さがあるけど、人目が…」と思うかに分かれてくるでしょう。私は前者の我儘です。我儘というのは「我のまま」=我はありのままです。そうした時に湧いてくる思いは…『人は(他人)は今の自分を見てどう思うのだろう』ということ。勿論家族も含めてです。家族なら特に???になるかも知れませんね。だって長所も短所もず〜〜〜っと見てきてるんですもの( ;∀;)
ですが、時の流れによって変化していくものはあります。それは外側に見える容姿だけではなく、目には見る事ができない内側のもの。それはいくら言葉で説明しても伝わらない若しくは理解し難い変化です。例えば、今まで愛想もない挨拶もかわさない自分さえ良ければいいというような方が、真逆の笑顔で挨拶して率先して人助けをする人になっていたりすると???ですよね( 一一)その方がいくらいい話をしても、いい行動を起こしても、今までのその人に対しての姿や態度、行動があったので信じられないでしょう。そしてそこで周囲の人はこう言うのではないでしょうか。「あんな事しても所詮あの人は○○だったんだから、見せかけでしょ。」とか今までのその人を知らない他人から「あの人すごくいいひとですね。」と言われると、今までを知っている人は即座にこう言い返すのではないでしょうか「いえ、あの人この間まで○○だったんですよ。」と、言わなくてもいい事を言って批判します。そんな事を聞かされた人はどう思うでしょう。「そうなんだ…」と思いこんでしまいます。ですが、「口は禍の元」といいますように、口伝によって言い方がそれぞれ違ってきます。だからどこまでが本当でどこまでが確実なことなのか確証はありません。もしかしたら、アリほどの小さな事がゾウほどに大きく膨らませて伝わっていることは大いにあるでしょう。
では、何故言わなくてもいい事をわざわざ伝えてしまうのか。そうして人の事をすぐ批判したり悪口を言ったりする人には、自分では気づかない何らかの柵があって、その自分と同じ波長をもっている人のその1部分が気に障るとか、或いは、心のどこかで自分も今のあの人のように自由にありのままに生きたいという思いが外側に出た時に、『妬み』となって言葉や態度に出てしまうのです。
「だったらあなたもそうしたら?」そう言われるでしょう。でもそこで躓くのが【人目、建前、見栄、プライド、評価】です。○○したら人はどう思うだろう…どんな事を言われるだろう…恰好悪いし…恥ずかしいし…など、そんな先のことを傷つきたくないからといって先手を打って想定し、結果行動できなくなってしまいます。これでは生き辛くなりますね。人のことを批判しても幸福にはなりません。その時は自分はよかっても、人を傷つけた分は必ず自分に返ってきます。そんな無駄な時間に労力を使わず、今生の今しかない今この瞬間(とき)をもっとワクワクと楽しんではどうでしょう。過去はどうであっても今は今なのです。時間(とき)は経ち、流れているのです。【今ここ】に目を向け、自分の内側に意識を向けて本当の自分の生きる道、魂の生きる道へと歩んでいきましょう。そうした時、外側の煩わしいことに振り回されることも、ぶれることもなくなることでしょう。生き辛さを手放すことです。